日本漢字と中国語漢字

中国から日本へ
私たちが使用している「漢字」は今から1500~1800年ほど前に、中国から朝鮮半島を経て日本に伝わったと言われています。
当時の漢字は、楷書(真書)や行書と呼ばれるもので、現在の繁体字(Traditional Chinese)に近い書体だったようです。
日本語漢字が繁体字に似ているのも頷けますね。
特に旧表記を用いる繁体字は、日本語漢字と同じ書体であることも多く、同じ意味を持つ言葉も多く存在します。
しかし中には、同じように見えて全く異なる意味を持つ場合もあります。
そしてこの時伝わった漢字をベースに、国字と呼ばれる和製漢字(1)や仮名文字などの表記方法が開発されました。
それ以前の日本では、いわゆる「文字」というものが存在せず、伝達・記録などあらゆるコミュニケーションが口頭のみで行われていたので大きな発明と言えるでしょう。
このようにして日本にも定着した漢字ですが、長い歴史の中でわずかな時間で簡略化が推進されました。
その背景には、産業革命による印刷技術の存在があったのです。
日本では「正字」あるいは「旧字体」、中国と台湾では戦後に「簡体字」の対応として作られた「繁体字」と呼ばれる字体が、第二次世界大戦まで漢字圏の国で共通に用いられてきました。
魏志倭人伝(2)

和製漢字(1):
中国から伝来した漢字ではなく、日本で作られた漢字体の文字を指し、国字、和字などとも呼ばれ、例として「畑」「匂」「峠」などが挙げられます。

魏志倭人伝(2):
中国の歴史書『三国志』中の一部分。邪馬台国など弥生時代の日本について書かれている。この時点で確実に3世紀頃に日本人が漢字を理解していたことがわかる。

中国と日本の流れ
日本
1945年
<第二次世界大戦終結後>
膨大な数の漢字と画数の多い漢字が国民の学習を
妨げているという認識
学習負担軽減と識字率(3)向上を目指し、
漢字の削減と簡略化の推進。

識字率(3):
ある国または一定の地域で、文字の読み書きができる人の
割合。
1946年
「当用漢字表」が1月16日に内閣告示。

「一般社会で使用する漢字の範囲を示すもの」として
1850文字の「当用漢字」が選定された。

この時点では漢字の削減を主としており、
旧字体の文字が多かった。
1948年
「当用漢字音訓表」告示。

「当用漢字表」には読みは示されていなかったが

ここで更に音訓を示した。

1949年
「当用漢字字体表」告示。
「当用漢字表」では簡易字体の採用が一部にとどまって
いたが、 この告示により正字(康煕字典体で示され
ていた文字)の多くが簡易字体に置き換えられた。

これが現在日本で使われている漢字の基本形である。

1958年
「教育漢字」(6)選定。

教育漢字(6):
「小学校の各学年で教えるべきもの」として、「小学校学習
指導要領」の付録「学年別漢字配当表」に盛り込まれた漢字
のこと。
1981年
10月1日に「常用漢字表」を内閣告示。
「一般の社会生活における、現代国語表記上の漢字使用の
目安」として、当用漢字より95字多い1945字が選出。

これが、現在の日本漢字の基本である。

1989年
「教育漢字」追加・改訂により、合計1006字に。
中国
1949年
中華人民共和国を建国。
毛沢東(4)、周恩来(5)が文字の簡略化こそ急務と提唱。

毛沢東(4):
中華人民共和国の政治家。
中華人民共和国の建国者・初代国家主席である。
周恩来(5):
中華人民共和国の政治家。
毛沢東指導下の中華人民共和国において26年余り、首相を務めてその体制を補佐した。
1952年
文字改革委員会を組織し、簡体字表の整理作業を開始。
1955年
文字改革委員会が「漢字簡化方案草案」を発表。
先行していた日本と同様の字形が多く見られる。
1956年
国務院が「漢字簡化法案」を公布。
簡体字と簡化字を、教育、公文書、新聞や
雑誌で使用させた。
1964年
「簡化字総表」発表。
これが現在中国で使用されている簡体字(7)の基本である。
総表は以下の3つの表から構成されている。
第1表 350字 偏旁に応用できない文字。「寶→宝」「燈→灯」など。
第2表 132字 偏や旁に応用できる文字(「國→国」は「掴」の旁として使う)と、 文字ではない偏旁が14個ある(言偏、糸偏などの簡略化)。
第3表 1753字 第2表の偏や旁を応用した文字。

簡体字(7):
厳密に言うと全体を簡略化した文字を「簡体字」と言い、
偏や旁など一部が簡略化されたものを含めて「簡化字」と
言う。
ちなみに偏とは漢字の左側に置かれるもの(さんずい、にんべん等)、旁は右側に置かれるもの(おおざと・りっとう等)である。
1965年
「印刷通用漢字字形表」を公布し、
印刷物に使用すべき字体を定めた。
1977年
「第2次漢字簡化方案」発表。
中国文字改革委員会により12月20日に発表された。
これは1975年5月草案提出、
1977年末から人民日報が試用開始した。

しかしあまりにも簡略化しすぎたために「読みにくい」
「見苦しい」と、国民の賛同を得られず…

8年間の試行の後、1986年6月24日国務院
により廃止となった。
1986年
「簡化字総表1986」
国家語言文字工作委員会が公布。
これが現在の最新版で、2244文字を収録。
1988年
「現代漢語常用字表」を公布。
この3500字は主に教育で使用されている。
中国と簡易文字
識字率の低かった中国において、文字改革は共産主義革命の重要な要素の1つとして位置づけられてきました。
その努力によって、現在では簡体字が普及し識字率は向上しましたが、当時は批判や問題が多かったそうです。
例えば、漢字の簡略化を一方的に批判する声に対して、漢字はその発祥の頃から簡略化されてきたのだという反論の声が上がり、 簡略化によって元の漢字がわからなくなり、意味の類推ができなくなるという声に対しては、もともと繁体字のレベルでも類推は 不可能になっているものが多いのだという反論がありました。

引用元
http://www.ywad.com/books/579.html
http://www.ywad.com/books/579.html
https://www.k-intl.co.jp/blog/16

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